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| エコロジーと住宅 |
38.私が考えるエコロジーとは(8) |
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| A.家づくりがイメージ追求型に変わりました。 |
| 前月で書きましたように、ハウスメーカーの初期の戦略は失敗に終わりました。しかし、ハウスメーカーの登場で家づくりの内容は大きく変わっていきます。その大きな原因の一つがハウスメーカーの宣伝広告にあります。ハウスメーカーは宣伝広告の対象に主婦層を狙いました。高度成長の最中、忙しいお父さん達は家のことを放棄するようになったからです。まず、豊かな生活を巧みに視覚化したテレビCMを流します。そして、それを仮想現実として体験させるための立派なモデルハウスを全国に展開していきます。特に水廻りのシステムキッチンや洗面化粧台を充実させ、主婦たちを熱狂させました。その結果、「キッチンが気に入ったからこのメーカーと契約する」などという倒錯した事態が普通となりました。そこにあるのは「豊かな生活」というイメージだけで、「なぜ、家が必要なのか」「どんな家が必要なのか」という『本質』が家づくりの現場からだんだんと後退していきました。 |
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| B.「旦那」の存在が家づくりの現場から消えました。 |
| このように、家づくりが地域の共同体から切り離され、さらに、主婦が家づくりの主役になることにより「旦那」が現場からいなくなってしまったのです。居間まで書いてきたように、昔の家づくりは建て主が責任をもって取り仕切っていました(もちろん、実務的なことは棟梁の仕切りでしたが)。その他に、建て主は素人なりに仕事の善し悪しを判断できる見識を持っていました。こうして家に理解の深い建て主を「旦那」と呼んでいました。工事金額の支払いをはじめ、要所を旦那が仕切っているからこそ、職人も意気に感じつつ、緊張感を持ちながら仕事をしたのです。家づくりの内実が単なるイメージの追求になってしまった現在、建て主と造り手が相互の責任範囲をはっきりさせた家づくりのプロセスは失われてしまいました。建て主の求め方が「○○LDK」という表現されるようになり、部屋数や住設機器(キッチン等)の機能・デザインにこだわるあまり、本来の家としての必要な「品」や「質」は二の次になってしまうのは当然のことでした。 |
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| C.こうして「昔の家」は完全に姿を消しました。 |
| ハウスメーカーが家づくりの形を変えていくなか、依然として多くの家は地域工務店が建てていました。しかし、家づくりのスタイルが徐々にハウスメーカーに似てくるようになりました。イメージ追求型の建て主が一般的になるにつれ、地域工務店がこれまでの家づくり方法論では「客を掴めないのではないか」という焦りがあったのです。工務店もハウスメーカーのように「家」に名前を付け、モデルハウスを造り対抗していきました。こうした流れが本格化するにつれて、パワービルダーと呼ばれる大量に家を建て販売する建売業者が多くの工務店を下請け化しました。また、独自の工法を宣伝するフランチャイズ会社が多くの工務店を傘下に納めるようにもなりました。その結果、多くの工務店は家づくりの独自性を失い、ハウスメーカーの家も工務店の家も区別がつかなくなってしまいました。こうして「昔の家」は完全に姿を消してしまいました。 |
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| D.「今の家」はなぜ長持ちしないのでしょうか? |
| 話を「今の家」へ戻して…。なぜ長持ちしないのか、その理由を深く探ってみましょう。まず、骨組に使われる木材です。現在、木材の多くは輸入材です。ダグラスファーと呼ばれる米松やヘムロックと呼ばれる米ツガ類が多く使われています。家一軒に国産材が使われる割合は18%程度で、その多くは杉です。最近では、輸入された集成材の採用が増えています。集成材とは薄く切った材料(ラミナー)を接着剤で貼った材料です。材料を貼り合わせる前に乾燥釜で人工的にラミナーを乾燥させるため、竣工後の狂いが少なくクレームが起きにくいのです。このような点が、施工する側に好まれています。国産の無垢材も人工乾燥させると狂いを少なくすることはできますが、集成材と同等まで乾燥させるのは技術的に難しく、乾燥させた木材の流通は、まだとても少ないのが現状です。いずれにしても、材料選びに「クレームが起きにくい」ということが重要視され、「地元の材料を使う」ということが重要とする人は減っていきました。 |
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